かつて自転車で宮城・岩手・青森を走ったときのこと、今でも忘れない。

今から二十年以上も前のこと、三陸海岸を自転車で北上した。

スタートは仙台でゴールは八戸、だったと記憶している。

松島、石巻、気仙沼、大船渡、宮古、久慈、そして八戸。

ただひたすらに、太平洋を片側に望みながらリアス式海岸沿いの道を行ったように思う。

 

海岸沿いと行っても、その後行った北海道とは違い、アップダウンの連続だ。

急勾配を上ると、眼下に漁港や集落が見える。

そのままの高さで通り過ぎることもあれば、下まで降らなければならないこともある。

その時持っていった地図では、もう少し平地に思えたのだが勝手が違った。

しかも、テントやシュラフ、炊事道具一式を載せた自転車にはかなりきつい。

 

この自転車旅は、上京したその夏のことだ。

山がない県に生まれ育ち、それまでに太平洋すら見たことがなかった。

海沿いの道は、きつくはあっても、新しい景色に触れることの連続で、だから、写真がなくても今でも思い出すことができる。

 

松島は生まれて初めて見た「美しい海の景色」だ。

宮古・浄土ヶ浜は生まれて初めて泳いだ太平洋だ。

八戸の蕪島では生まれて初めてのウミネコの大群に仰天した。

 

海岸でテントを張っていると、バーベキューに誘ってくれた家族があった。

交番にテントを張る場所を聞き、公園の片隅で一晩を過ごすと、翌朝、おまわりさんの家に招かれ、ご飯と味噌汁をごちそうになった。

深夜の公園で、誰かが走っていく音が聞こえ、外に顔を出すと、さらに走ってきた警官が「こっちに誰か逃げて来なかったか?」
泥棒が戻ってくるのではないかと怖くて眠れぬ夜を過ごしたこともある。

 

出会った人のこと、目に焼き付いた景色のこと、今でも忘れていない。

あの自転車旅は、特別のものだった。

 

自分にできることは、わずかかもしれない。

あの旅を忘れないでいることは、そのわずかななかのひとつに思える。

 

いまだ安否がわからない方が多数いることは、本当に痛ましい。

避難されている方々の健康も心から祈っている。

一日でも早く、復旧を願うばかりだ。

 

そして、いつかまた同じ道を辿ってみたい。

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