マーク詩集「跳ぶシーラカンス」

跳ぶシーラカンス 下花藻群三

それから
1948年 ダッハウ
ガス室で裸で立っていた娘は
壁に刻まれた
人間たちの死の時間
無数の剛毛に似たかたちに
シーラカンス
くろい海のうねりを見た
娘は
群りあった無毛の人々の頭上をわたってくる
シベリア鶴の羽撃きに似た
ガスの流れに耳をすましていたが
ぜいぜい
喉から飛びたった
無数の鶴たちの
おだやかな眼を見つめているうちに
羽が娘をうち
ぶっ倒れた
踝は鶴の羽毛でかざられ
ふくれた胸に海が流れた
壁から跳んだシーラカンス
その上にすわりこみ
手なれた快楽の動作をはじめたな

何年たったか
シーラカンス
ロンドンの霧は魚眼を溶かし
盲いた海魚は
剥けおちた無数の鱗と共に
ケープタウンの岬から
デボン紀へと沈んでいったな
海でかたちをとりもどした
シーラカンス
白人でにぎわう海水浴場に向かって
黒人の脇をくぐり抜けて潜水すると
踝にVのイニシアルを刻んだ
幻の少女に出会ったな
昔の記憶に顔をあからめた
シーラカンス
今度はあざやかに身をかわして
裸で立っている娘の
ガスでやられた眼をのぞいたな
黒い樅がゆさゆさゆれて
盲いた娘が星を縫い男たちの胸にとめていた
その娘の眼の中に
ハーケンクロイツが陥没して
シーラカンス
背骨をきつく曲げて
化石の時間が流れているデボン紀へ
跳んだな
もう帰って来ないつもりだろうが
おまえの習性は常にめざめているから
また
どこかできっと会うだろうな

花藻群三写真
■花藻群三 gunzou hanamo

澁澤龍彦を研究する書誌学者
著書に
詩集「自由射手」、「龍神淵の少年」
「跳ぶシーラカンス」ほか
本名:杉田總(すぎたさとし)
昭和四十五年 没