マーク作品集「龍神淵の少年」

評論「憂い顔の革命家 澁澤龍彦」序論 前半花藻群三

澁澤龍彦とはどのような人物であろうか。彼の著作をみると、きわめて多彩であることに驚かされる。

フランス文学、なかでもマルキ・ド・サドの翻訳、研究で一般的に知られているが、彼の名をジャーナリスティックにしたのは、サド裁判の被告としてであり、サドと澁澤龍彦は一枚の仮面の裏表とでもいった趣きがある。さらに、彼は魔術、妖術などのオカルティズム研究家であり、ヘリオガバルス、ジルド・レエといった妖人奇人たちの行動に現代の光をあて、マニエリスムからシュールレアリズム、怪奇映画について語り、フロイトよりさらに行こうとしているエロチシズムの研究家でもある。また彼は小説も書いている。

以上のごとき仮面の裏をかえせば、サドを裁く法廷はサドによって裁かれるとの理のおもむくところ、被告と原告の位置は逆転し、真の恐怖は権力の側にあることを教える澁澤龍彦が、またオカルティズムとはこの現実を一気に転覆しようとする術に外ならず、歴史上の妖人奇人たち、つまり異端者は彼等の運命を変えようと試み、なかでもエロチシズムの可能性をどこまでも行こうとした人物であることを執拗に報告し続ける澁澤龍彦が、その故、この世ならぬイメージの中にこそこの世の存在理由があるのだと主張して、思想や観念ではなくイメージそのものに固執するコレクターが、我々が選びとるエロチシズムがひとつの可能性であってまだまだその本質を表していないことを教えてくれる行者の姿が浮かびあがってくる。

もはや仮面であるのか素顔であるのかさだかではないが、ひとつの顔をそこにみるとしたら、この停滞し、日一日と死んでいく日常生活を破壊しつくそうという意志に燃えた革命家の顔をみるのがいちばんふさわしい。

花藻群三写真
■花藻群三 gunzou hanamo

澁澤龍彦を研究する書誌学者
著書に
詩集「自由射手」、「龍神淵の少年」
「跳ぶシーラカンス」ほか
本名:杉田總(すぎたさとし)
昭和四十五年 没